◆書評◆今月のご紹介は、「サイゴンから来た妻と娘」(文春文庫1981)、「サイゴンの一番長い日」(1985)近藤紘一 (文春文庫1985)です。
本書はベトナム戦争末期にサンケイ新聞サイゴン特派員だった近藤紘一氏のエッセイというか日記というかそんな本で、これまでの書評で取り上げた本と少し毛色が変わっています。なぜ読むことになったか定かでないのですが、アマゾンのカートの中になぜか入っていました。どこかの雑誌か書評にあったのでしょう。前書は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。面白く読みました。
記述によれば大家とのトラブルで、殆ど偶然というか行き掛りで、サイゴンの下町の年齢不詳で元女番長の「妻」のところに転げ込んで結果として結婚することになり、その「妻」には娘がいたという話です。結婚の動機としては最初会った時『ダリアのような笑顔』が印象的だったそうです。クーラーのある部屋は「妻」部屋だけですから。
文体が洒落ているわけではありませんが、柔らかで優しく、力みがなくかつビビッドで、映画フィルムを見ているような錯覚に陥ります。多分、私が若い時に見たベトナム戦争の映像が頭に残っているのでしょう。文体は著者の彼の人柄を感じさせます。これは私の知っている幾人かの産経新聞の記者に共通した感じで、多分この新聞社の空気を反映しているのでしょうか。ほかの新聞社が特に硬いとは言いませんが。
この本で興味深いのは、1975年4月30日のサイゴン陥落直前の、サイゴンの混沌と混乱の街の情景の描写です。戦争中でありながら庶民はすっかり戦争と共生状態にあります。またサイゴンの生活はある意味豊か、特に食生活は、自然とも共生していることです。
私はサイゴンに1995年に初めて行きましたが本当に、人も道路も家も屋台のような店も、ぐちゃぐちゃで「アジア的」でした。建ったばかりの外資系ホテルに泊まりましたがその周辺は「アジア」そのものでしたから、1975年当時はもっとアジア的だったのでしょう。しかも外国人が絶対住まない、下町の貧民街に住んだのですから凄かったのでしょう。寝ていると顔の上をゴキブリが沢山歩いて行く、とも書いてありますから。殺虫剤を使たったらバケツに一杯くらいとれて、毎日とれるのであきらめたともありました。食用の鶏、ペットのサル、犬、猫、ニシキヘビが大勢の子供と一緒に暮らしていたともありました。家の裏はごろつきや娼婦のたまり場であったようです。
この世界から転勤で「妻」と「娘」が東京に来たわけですが、その時の東京の印象が凄く興味深いですね。「妻」いわく、「ここではどうして皆メランコリックな顔をしているの?」です。1975年当時の東京はオリンピック、万博の後の高度成長真っ盛りの時期で、相当元気な時代だったと思いますが、難しい顔を日本人はしていたのでしょう。成長に急き立てられて疲れていたのかもしれません。ともかく日本人は暗い!もっと明るくやりましょう。
戦時中であってもサイゴン市民の方はおおらかに暮らしていたのでしょう。「妻」はお釈迦さまとご先祖様以外の一切の権威を認めていませんし、国家を頼っていません。完全な自主独立です。また大変な食道楽で東京の刺身と霜降り肉に夢中になり家計破綻の淵まで行きました。
「娘」は生まれて初めて革靴を履き東京を歩き回り車の洪水や、高層ビル、豪華なショーウインドウにはあまり驚きを現さなかったが、清涼飲料の自動販売機にはひどく感銘を受けたようで日に何回も小銭をねだって、缶が出てくるのを喜び、「サイゴンにあれば便利だけど一晩でお金もジュースも盗まれてしまうね」といったそうです。パンはフランスパンで育っているので四角な食パンは高級品と思ったようです。冗談にサイゴンに帰ろうかというと「いや東京がいい、ギンザもチカテツもあるし、キレイだから」とすっかり東京が気に入ってしまったようです。小柄できゃしゃだった身体は東京で凄く大きく成長しましたと。「妻」の「娘」に対する教育が体罰中心のスパルタ教育です。強く生きよ!このすさまじい教育哲学?は凄いです。とんでもない「娘」の性教育という所もありますが紹介は割愛します。
終始、観察者の目線で「妻と娘」の描写が進みますが、その背景にごく薄色に、パリに一緒に留学もした、死別した最愛の前妻の残照が感じられる文様です。
「サイゴンの一番長い日」は1975年4月15日に、危機迫るサイゴンから「妻」を東京に送り出してから、4月30日の南ベトナム消滅の日、そしてその後の日記風のドキュメンタリーです。
危険だからすぐ帰国せよ、という会社の指示、命令をあれこれかわしながら、サイゴン陥落、国家消滅の現場を取材しようとする新聞記者の根性が凄いですね。最後にアメリカ海兵隊の脱出が手間取って、北側に最後の時間的猶予を乞うくだりもあります。その最後のヘリが飛び立った大統領官邸の屋上には2度行きました。今でもヘリが飾ってあるのでしょうか。この辺を歩いた実体験の通りや教会などの映像と、この本の語りが融合して、キュメンタリー番組を見ているような感じで読んでいきました。
最後のサイゴン政府は混乱そのものです。元々三国志の時代の状況で近代兵器を使った戦争をしているわけですから。グエン・カオキ将軍とかチュー大統領とか懐かしい名前が出てきます。南ベトナム政府の末期の数年は政権中枢が混乱して権力者は政争に明け暮れし、政権交代劇が続き、国の行く末を誰も考えていないようでした。彼らはほとんど米軍と一緒に国外逃亡しました。滅びるべくして国家は滅んだのです。これに、安倍、福田、麻生、鳩山、管、そして野田総理へ続く日本の権力中枢の混乱と迷走がだぶってきていやな感じになりました。
サイゴン陥落の4月30日の午前8時くらいから喧噪の街の異変が始まります。サイゴン川の河岸に市民が荷物を持って集まりました。30分後には屋台もすべて消えサイゴン市民が河岸まで追い詰められた風景になります。空には行先を失った航空機やヘリが乱舞しています。そこに革命政府の旗を立てた宣伝のジープが走り抜け、人々に冷静な対応をよびかけていく。そのあと街のあちこちでベンチや車の屋根に革命政府の旗を掲げた工作員と思われる若者が立ち上がり、それを人々は唖然として見上げていた。この瞬間数万人の群衆はわずか20名足らずの若者に支配され、騒動も混乱も起こらなかった。そのあと整然と北ベトナム軍は街に入り進駐しました。北ベトナム軍は4方向からサイゴンに突入し、一部に銃撃戦があったようですが、基本的には極めてあっけなくサイゴンは陥落しました。
さすが新聞記者です、大使館に避難していたのに、もう街に出て進駐してきた北ベトナム軍の兵士に「どこから来たの」と話し掛けています。電話もなんとか通じているようです。知人宅にも出かけています。
1台のジープが大統領官邸に入り執務室で待っていたミン大統領と直立で対面しました。ミン大統領が「現在をもってすべての権限を委譲します」というと北の指揮官は「将軍、あなたにはもはや移譲すべき権限は何一つありません」と。別の日本人記者は同席していたようです。
翌日はなぜか5月1日、メーデーです。もう北ベトナム軍はパレードを行い、市民は屋台を開業し縁日の様です。中華街は一面革命政府の旗と中国国旗であふれて熱烈歓迎ムード、この現実対応力はすごいですが、いつから革命政府の旗を用意したのでしょうか。旧国旗は踏みにじられています。彼はカメラを持って歩道から北ベトナム軍が車でホーチミンの写真を掲げてパレードするのを写真に収めていると、むこうから車を止め、もっと近くの正面で取れて合図されたとあります。命知らずの記者魂です。
一国の崩壊、首都陥落がかくもあっけないものでしょうか。日本でも似た風景が、明治維新の江戸無血開城、そして米軍の厚木から東京へ進駐とあったはずです。もうあってはならない風景ですが、経済的には今のアテネ市民の気持ちはこれに近いでしょうか。
日本は出来るだけ早く安定的な政権を作り、国政改革、財政再建をまじめにやらないと、再び「国敗れて山河あり」になりかねません。
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◆書評◆
今月のご紹介は、「都市の原理」
ジェイン・ジェイコブス 中江利忠、加賀谷洋一 訳 鹿島出版会2011(1971)です。
本書は1968年に原著が上梓され、1971年に邦訳されたもので、改めて2011年それが新
装再版されたましたから、旧い本ですが、いまだその真価は揺るぎがないという事で
しょう。もっと若い時に読んでおけばよかったと思う本は少なくありませんが本書も
その一冊です。ただ、読みやすい本ではありません。ジェイコブスの研究に関しては
文末のURLにある細谷裕二さんの研究ノートが解り易い解説になっています。
ジェイコブスの主張は鮮烈です。まず「都市ありき、そして農村が発生する」という
常識を覆す言明です。「農業自体も都市で生まれたのではないか」とも。即ち「先史
時代でも農業と動物の飼育は都市で始まった」という論理的な帰着を導いています。
トルコのカタル・フエクの32エーカーの土地に、泥の煉瓦で造られた建物がびっちり
並び、人口は数千人にも達したと推定され、数千年以上前の新石器時代の、知られて
いる最古の都市の実例として紹介しています。最古の布地もここで発見されています。
農業は地球の三ヶ所で起こりました。小麦と大麦の栽培は中東で、米栽培はアジア東
部(私はインド南部のタミルと思いますが)で、そしてトウモロコシの栽培はアメリ
カでという事です。狩猟と採集が先行し、穀物栽培が軌道に乗って初めて狩猟民は農
民になれた、という論理は確かに解り易いですね。穀物の栽培が先とすると、それま
でなにで生きてきたのかになりますので。その狩猟民は三ヶ所で都市の原型を構成し
て、そこで農業のプロトタイプを作り上げたという主張です。「狩猟民の恒久的な集
落が農耕前の生活の姿だと示唆したい」と言っています。
次に、都市の発展については「新しい仕事が古い仕事に盛んに追加され、分業を増や
していくところが都市である」としています。「モノを新しく開発していく経済は拡
大発展する、新しい種類の製品、サービスを追加するのでなく、ただ古い仕事を続け
て繰り返すだけの経済は、あまり拡大せず、当然発展もしない」というくだりは経済
という言葉を、企業に代えればそのまま当てはまります。即ち「都市の発展は新しい
仕事が、盛んに古い仕事に追加されることにある」という主張が二番目の言明です。
新しい仕事が、旧い仕事に追加された例として、婦人服の仕立ての仕事に、ブラジャ
ーの開発が新しく追加された仕事として本書で、しばしば引用していますが、ここで
は文中にある別の例を紹介しましょう。ミネアポリスで鋳物を作っていた会社が自社
が鋳物の仕上げに使用していた磨粉を、厳選して紙の上に接着剤ではり、紙やすりと
して大工や家具職人に販売を始めます。そしてその紙やすりには接着剤に問題があっ
たので、その接着剤の改良から、良質の紙テープを造ることに興味が移り、これをペ
ンキ職人に遮蔽テープとして売り出しました。それからセロテープや、電気テープ…
という一連のテープの製造販売が、新しい仕事として追加されました。接着剤のビジ
ネスには、工業用の接着剤や建設用の充填剤…が追加され、ワックスやペンキも製品
に追加されました。接着力が弱い接着材からは、剥し易いポストイットも新たな製品
に追加されました。こうして発展してきた企業が3Mです。
ここで興味深い論理展開が、「仕事の論理」です。親となる旧い仕事から、新しい仕
事が生まれる「暗示」として、「既に使われている物質又は技能から示唆される」こ
と、「出てきた特定の問題から生まれるアイディア」を上げています。さらに、興味
深いのは「追加される財貨やサービスは、旧い顧客が望むものと関係ない」とも指摘
しています。ですから売る相手も新しい仕事です。「ただワクを大胆に打ち破って追
加される」という事です。
都市の発展については、英国のマンチェスターとバーミンガムを例にとり、紡績業と
いう成功をただ繰り返すだけに専念し、新しい財貨やサービスを追加できなく、旧い
仕事にも改善がなく衰退したマンチェスターに対し、多くの試行錯誤と多様性を追求
し、街が実験室になったバーミンガムは繁栄を継続したとあります。生産性と利益率
だけを追求したマンチェスターは衰退して、生産性は低いが多様性を追求したバーミ
ンガムは長く反映したという歴史的な教訓です。デトロイトとボストンの対比も挙げ
ています。
続いて挙げている、ニューヨーク州のロチェスターは、既に議論したコダックの本拠
地です。コダック社はロチェスターで成功したのち、コダックからのスピンアウトの
企業を潰し、起業を抑え、唯一例外のゼロックス社でしたが、分離と多様性を否定し
て生活、社会まで支配するようになり、ロチェスターはコダックの「会社の町」にな
り、「会社の仕事」をするほかに暮らしを立てる選択を無くし、そして新しい仕事が
追加される事も無くなり、選択と集中というステレオタイプの思考で、次第に自身の
多様化も否定して行った結果、支配した「会社の町」とともに自社も沈んでしまいま
した。
都市の爆発的成長については、「輸入品を置き換えていく過程は、都市を爆発的に成
長させる」とし、事例として明治の東京を挙げているのが面白いです。当時の東京は
大量の自転車を輸入していましたが、修理職人達は自分で部品を作り出し始め、さら
に個々の部品を専門分化して作るようになりました。そうなるとその部品を大量に契
約して職人から買い取って、完成車を製造する業者が出現したと云います。こうして
東京の輸入されていた自転車は地元で製造される自転車に置き換えられました。これ
を「輸入置換の乗数効果」と名付けこれは地元経済を膨張させるといってます。輸入
品との価格差が新たな需要を生みます。これが都市の成長原理であると言明していま
す。ここで、高価な生産機械を輸入して大量生産するのではなく、東京が持っていた
既存の能力の範囲内でこれを成し遂げたことは創造的な仕事であると、日本をさらに
持ち上げています。
「輸入置換→輸入品の構成変化→急激な成長」が成長のプロセスで、このプロセスの
中で、経済活動の総計の増加、農村で生産される財貨に対する事情の急拡大、そして
都市の仕事の急増が起こると云います。本書が執筆された時代は日本経済の高度成長
期に当たりますので、成長の事例として日本は好都合であったのでしょうか、随所に
日本が好例として紹介されています。
引き続き都市に対する彼女の思い入れを強く感じさせる興味深い記述をもう一つ紹介
します。ロックフェラー財団がインドの農村の貧困を救済する目的で、エタワという
農村に自家発電装置と近代的設備を持ち込み、工場を建設しましたが、失敗に終わり
カンプールという人口120万人の都市に移転して成功させた事例と、工業と農業を結び
つけるべく、中国が農村に小規模工場を展開したが結局この計画は放棄された話です。
この事例が教えたことは、新たな事業を立ち上げるには、都市が持つ多様な仕事を提
供する組織、必要な財貨やサービスを提供する能力が必須であるという事です。
新しい仕事を創成するのに重要な要件として、940年代にロサンジェルスやボストンが
与えた「小さくても多彩な出発点」が存在です。ベンチャー企業を育てる機能、ベン
チャーキャピタルに言及しています。
興味は尽きませんが要約はこれまでにします。都市に対するあくなき愛情ともいえる、
ホットな主張と生の例証が本書の魅力でしょうか。ただ、正規の研究者としての教育
を受けていないキャリアのためか、いわゆるアカデミアの正統からは外れた論証の手
法かもしれませんので、その筋の学者とは激しい論戦があったでしょう。
この本では少ししか触れられていませんが、区画整理で街を整然とすることで街は賑
いを失い、衰退するという信念から、都市計画の専門家との激しい論争もしているよ
うですが、暖かなふれあいのある街角や小さな広場、旧いが美しい建物がごちゃごちゃ
している空間が街の多様性を高め、ひいては新しい仕事を追加する、という主張です。
県庁所在地くらいの規模の地方都市に多くの衰退の実例を見てきました。今、二子玉
川でクリエイティブシティーを創るコンソーシアムの支援をしていますが、色々な示
唆を与えてくれます。地域振興のプロジェクト、地域クラスターの作り方にも参考に
なります。また、別に手掛けているプラチナ社会の建設にも大変参考になります。
「都市ありき、そして農村が発生する」から始まりますが、「新しい仕事が古い仕事
に盛んに追加され、分業を増やしていくところ」が都市である。新しい仕事は「既に
使われている物質又は技能から示唆される」や「出てきた特定の問題から生まれるア
イディア」から生まれる、そして「小さくても多彩な出発点」を与える仕組みが都市
の発展の要件という言明、これが本書のエッセンスだと思います。この次も都市論で
行きましょうか。
細谷裕二さんの研究ノート
http://www.innovation-net.jp/text/data/sangyo_ricchi_200811_hosoya.pdf
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◆書評◆
今月のご紹介は、「クリエイティブ都市論」リチャード・フロリダ 井上典夫訳 ダイヤモンド社 2009
本書は、 夜間光の衛星写真の分析の上に、GDPやイノベーションなどの経済データを重ね合わせる研究結果をもとに、世界の中で経済活動が活発な20-30の地域が、人口は5分の1にも満たないが、経済活動の3分の2、イノベーションの8割を産出していること、さらに上位10地域が、人口が世界の6.5%にも満たないが、経済活動の4割以上と、イノベーションの半分以上を独占している知見を披歴しています。こうした地域を「メガ地域」と名付け、世界はフラットではなく、少数の地域が経済活動で高いピークを形成する、スパイキーな世界であると主張しています。しかも上位5地域の2つは日本にあります。東京経済圏の2.5兆ドルと名古屋・大阪圏の1.4兆ドルです。九州北部と広域札幌圏も世界主要経済圏に名を連ねています。日本人失いかけている自信を,改めて奮い立たせるような日本版への序文で始まります。
そして、第1章「住む場所の選択」では人生の選択を議論しています。それは、まず何をするか、即ち仕事。次に誰とそれをするか、即ち人生の伴侶。そして突きつけるのが仕事を誰と、どこで行うのか即ち、居住地の選択を迫ります。どこに住むかで仕事も恋愛も決まる、とまで言い切っています。ここが本書の論点です。極めて明快です。ネットワークの時代は「世界はフラットになる」、そして地理的な影響は少ないという最近のパラダイムと真っ向勝負です。さらに、本質はライフスタイルの選択であって、地理的な優位性に影響されない仕事や、ささやかな生活費と素晴らしい自然環境に恵まれた地域が沢山ある事も認めていますが、人生の選択という強烈な意思決定を読む人に迫っています。そこまで考えて人生を選択してきたかです。私事で恐縮ですが、私は大学院を修了して就職をするに当たり、仕事は専攻が生産技術という事で当時既定というか選択済みでしたが、東京に住み続ける事を固く決め、都心に30分に住み、郊外に通勤30分のジェットエンジンの工場の生産技術のエンジニアの仕事を選択しました。仕事はそれからいくつか替りましたが居住地域はほぼ同じ渋谷文化圏です。結果として、人生の伴侶もこの流れの中で決まることになります。家族の教育も生活も、そして現在の全てがこの「居住地の選択」にあったことを改めて再認識させられました。
第2章「スパイキーな世界」では世界はフラット化していない事実として、1900年では14%であった都市部の人口は、現在、先進国では人口の4分の3が都市に住んでいる事、世界経済の舞台で発展可能な地域はごく一部であることを主張しています。因みに13億人の中国も既に都市人口は半分になっており、経済成長が著しいのは、北京、上海、広州の3地域を筆頭とした上位10地域です。
さらに地図の上に、人口データを乗せ、それに、夜間光の密度の衛星写真を重ねる手法で世界の経済活動が極めて盛んな20-30地域を抽出しています。夜間光即ち衛星から見える夜間の光量はその地域で経済活動に比例することが解明されています。俯瞰工学研究所のサイトに東京大学の俯瞰工学研究室時代の研究成果を「アジア経済俯瞰:衛星写真」として公開していますのでご参考に。こうして序文にある、20-30の「メガ地域」が同定されています。特に大きな「メガ地域」は、ボストン―ニューヨーク、シカゴ―ピッツバーグ、アムステルダム―アントワープ、ロンドンーマンチェスター、そして前述の日本の東京経済圏と名古屋・大阪圏の2つです。
さらに重要な分布はイノベーションの分布、即ち特許の数と世界的な科学者の分布で、地域はさらに絞られてきます。才能が集まる地域です。東京、ニューヨーク、サンフランシスコに続いてボストン、シアトル、オースティン、トロント、バンクーバー、ベルリン、パリ、ストックフォルム、ヘルシンキ、大阪、ソウル、台北、シドニーです。インドのバンガロールと北京そして上海は最近の伸びが著しく才能が集積する地域です。イノベーションには地理的な才能の集中が依然として重要であることを指摘しています。クリエイティブクラスの人々は集中します。才能を引き付ける「持てる」地域と才能の流出が止まらない「持たざる」地域が仕分けられているのです。そして著者は、で「どこに住むの?」という突込みをしてきます。
第3章「メガ地域の台頭」での主張は都市の連携で形成された以上の「メガ地域」が、国家や都市を超えた新しい経済単位として集積を活かしてイノベーションをリードすると言明し、具体的な世界の「メガ地域」の分析を紹介しています。残念ながらモノクロ印刷であるため、印象が弱いので、本文末にあるURLで夜間光を見ると感覚的に理解が深まるでしょう。また原論文に挑戦するならば文末のURLにpdfの論文があります。おせっかいですが、パソコンではAdobe Digital Extensionをダウンロードして、pdfの論文は電子書籍として読むと読みやすいですよ。iPadではiBookで。
第4章「集積の力」では「経済の根本には集積しようとする力が働いているから、人間、生産力、創造的スキル、才能は特定の地域に集まり、それが経済成長の原動力になる」と説いています。何人かの経済学者の研究を引用しつつ、「才能が集積する都市が経済成長の最大の要因である」という結論に導いていきます。「経済成長は、拡大と発展にある、発展は差別化、拡大は規模や量の増大とあります、イノベーションの源泉は企業でなく都市である」というジェイコブスの言明を畏敬の念を持って紹介しています。「集積化により地域は選別されるがそれは必然的に人の選別になる」という言葉も意味深いですね。従って、「今後の世界経済の中心は一握りのメガ地域と高度に専門化された地域に再編される」と結論しています。この一握り中に東京あるのですが、住んでいる人がその意識が薄いのが淋しいです。以上で総論の第一部が終わり各論の第二部、そして第三部では居住地の選択に関する助言と続きますがこれは読んで頂いた方がいいでしょう。でないと丸ごと要約することになってしまいます。具体的には、第5章 移動組と定着組、第6章 才能の集まる場所、第7章 ジョブシフト、第8章 スーパースター都市と続き、第三部は、場所の心理学として第12章迄あり、第12章は最高の居住地を見つける方法、とまで具体的です。やはりアメリカの学者は読者に対するサービス精神が凄いですね。日本人の学者も見習いましょう、社会を変える、動かすのは学者ではなく市井の人々の納得ですから。
参考URL
夜間光衛星写真
http://agora.ex.nii.ac.jp/~kitamoto/research/rs/stable-lights.html.ja
http://eoimages.gsfc.nasa.gov/images/imagerecords/55000/55167/earth_lights_lrg.jpg
http://visual.ly/language-communities-twitter
メガ地域の分析
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◆書評◆
今月のご紹介は、
「プランB 4.0 人類文明を救うために」レスター・ブラウン著 木村由香里他訳[環境文化創造研究所 編集協力] 2010 ワールドウォッチジャパン
本書は、地球環境問題の専門家であるレスター・ブラウンの提言書です。彼は農学を修め、米国農務省で活動したのちワールドウォッチ研究所、アースポリシー研究所を創設して「地球白書」などにより環境保全の行動を呼びかけています。
従来どおりの生活、産業を続け世界の終焉を迎える事を「プランA」と呼び、社会、生活を革命的に変えて地球上で持続的な人類社会を実現する行動計画を「プランB」として提案しています。即ち、人類文明の存続は「地球環境が『限界点(threshold)』を超える前に、人類社会が『転換点(tipping point)』を形成出来るか、に掛っているという警告です。
冒頭の「はじめに」の最後の言葉が気に入りましたね。環境保護活動家のポール・ホーケンの言葉ですが「何が不可能か知っている人たちの為に、意欲を失ってはいけない。やらなければならない事に取り組んで、その取組が終わってから、不可能であったかを確かめよう」です。要するに出来ない理由をうまく説明する人の話は聞くな、まずやってみよう、結果を議論すればいい、という事です。企業活動や全てに言えますね。私も学生に、出来ない理由を開口一番口にする「癖」を直し、最悪でも「Yes、・・・、but・・・」の構文で話すようにと指導してきました。
彼の危機感の基底は、地球温暖化により、ヒマラヤやチベットの山岳氷河が消滅し、北極と南極の氷が融解し、そしてこれに伴う灌漑システムの崩壊と海面上昇による水田の喪失が起こり、結果として食糧の安定供給(フード・セキュリティー)が脅かされ、最悪の結果は食糧の争奪戦争になり人類の文明が滅びる、という事でしょうか。さらに人口増加と、新興国の経済成長による、穀物から畜産品への移行が食料供給をさらに危うくするという事です。地下水の汲み上げによる灌漑システムも、既に限界を超えているという事です。日本は例外的に雨量が多いので表層水だけで灌漑している幸運な国です。つまり日本の絶対的な優位性は水資源に恵まれているという事です。
ですから文中、彼は繰り返し貴重な食料であるトウモロコシや大豆から燃料のエタノールを生産する暴挙を咎めています。前に紹介したポール・ホーケンの言葉、「今、私たちは、未来から盗んだものを、現時点で売り、国内総生産と呼んでいる。未来から盗むのではなく、未来を救うことに基づいた経済にすることは同じくらい簡単だ。未来の為に資産を築く『修復』か、未来の資産を奪う『搾取』か、どちらかを選ぶことが出来る」を引用しています。お二人はいい関係ですね。
そして、7つの提案からなる「プランB」を解説しています。それは、1.炭酸ガス排出を削減するエネルギー効率の革命、2.再生エネルギーへの果敢なシフト、3.持続可能でウェルビーイング(well-being)な都市設計、4.貧困を解消して人口を安定させる、5.環境を修復する、6.フードセキュリティーの実現、7.公正な市場の構築と、補助金と課税のウィン・ウィン戦略、です。この詳細を事例や数字を引いて解説しているのが本書です。
日本について幾つか言及していますが、日本の家電でエネルギー効率化をさせたトップランナー方式を世界で最も強力なシステムである、と高く評価しています。即ち、最高の効率の製品を基準にする事で15-80%、の改善を実現したと。また、「日本の新幹線は、四十数年間に数十億人の乗客を運んだが、鉄道事故による死者は一名もいない。到着の遅れは平均20-30秒ほどである。現代の『世界七不思議』を選ぶとすれば、“新幹線”は間違いなくその一つに選ばれるだろう」と、これは称賛を超えています。
彼のユニークなのは提案する「プランB」の予算を算定している事です。それは1870億ドルでアメリカの軍事予算の約三分の一であり、世界の軍事予算の13%に相当するとあります。ちなみに2009年半ばで、イラク戦争の戦費は約6420億ドルであると。
彼が挙げている社会変化の三モデルが面白いですね。一つは「大惨事警鐘モデル」、劇的な事故が我々の思考や行動を抜本的に変える。二つ目は「ベルリンの壁モデル」、長い時間を掛けて思考や姿勢が変化して社会が特定の問題で“転換点”に達する。三つ目は「サンドウィッチモデル」、活発な草の根運動が特定の問題で変化を促し、これと強力な政治のリーダーシップが呼応する。幸か不幸か日本は「大惨事警鐘モデル」になっていますが、これを機に思考と行動を根本的に変える決意が必要ですね。この本は2009年以前の発行ですが、まさか地震や中国の事故の予兆を感じていたのでしょうか。
最後に、「世界が直面している環境問題について私に何が出来るでしょうか」とよく質問されるそうですが、相手はライフスタイルの変化についての答えを期待していると判っていても、「政治に参加することである」と答えるそうです。
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◆書評◆
今月のご紹介は、
「暴走する文明」 ロナルド・ライト著 星川淳訳 2005 日本放送協会
本書は、歴史家であり作家のロナルド・ライトの著作になります。俯瞰学の手法の一
つは時間的俯瞰ですが、歴史学は時間的俯瞰から独自の解釈と認識の構造を引き出す
ものです。一読に値する一冊です。「我々はどこから来たのか?我々はどこに行くの
か?」というゴーギャンの問いからこの本の語りは始まります。この絵の写真は、
(社)俯瞰工学研究所のサイトの「特別な写真」に置きます。
このまま野放図な消費を続ければ、地球環境の破壊とともに人類も滅亡するという警
告の書です。墜落した飛行機から回収したフライトレコーダを読み解くように、過去
に滅亡したイースター島、シュメール文明、マヤ文明そしてローマ帝国の凋落のプロ
セスを読み解きいくつかのパラダイムと警告をしています。
この本では「文化」とはある社会の持つ知識と信条と実践の総体をさし、「文明」と
は特殊な文化をさすとあります。ただ、文化のすべてが文明であるとは限らないとも
あります。人類の歴史の99.5%は旧石器時代であり、文明の発祥以来の時間は
5000年ほどで70年の生涯を70ほどつないだものだという時間感覚を強調していいます。
イースター島は、火口湖からの花粉の分析では、かつては水も植物も豊かであったが
移り住んだ人類の野放図な消費と持ち込んだネズミにより木一本ない島になったとあ
ります。石造信仰にすがり、ほかの島に行くカヌーを作る木もなくなるまで切り倒し、
その為に、最後の木を切り倒した人たちは、最後の一本であり、もう二度と木が生え
ることはないことを承知で切ったはずだとあります。無制限の人口増加、資源の浪費、
環境破壊、宗教が保証する未来という狂信の実験を見せてくれたとあります。
メソポタミアのシュメール文明も同じように、現在のために未来を犠牲にして、天然
資源の最後の一滴まで絞り尽くすというイースター島と同じふるまいの末滅亡し、古
代の都市跡を取り巻く現在の砂漠はその住人達が作ったものだといっています。
ローマ帝国がなぜ凋落したか、疫病、蛮族、鉛毒、狂気の皇帝、腐敗、キリスト教と
ありますが、複雑なシステムは必ず収穫逓減に屈するという原理、そして帝国の土壌
が疲弊すると、環境負荷を植民地に輸出し、その結果周辺も疲弊し、周辺のローマ都
市の遺跡は今は砂漠の中にあると。
「ピラミッド体系」というパラダイムも面白いです。ローマとマヤの歴史から、文明
がしばしば業績拡大の間だけ儲かるピラミッド型「マルチ商法」のふるまいを見せる
とあります。即ち文明は拡大する周辺から富を吸い上げるので、絶頂期に不安定にな
り、さらに前進する唯一の道は自然と人間から新たな借入金を絞り続けることとあり
ます。日本、米国、そしてこれからの中国に思いを馳せると意味深長です。マヤの高
塔群はすべて最後の1世紀に建てられたものだと。マヤは人口過剰と農業の失敗で崩壊
したと結論付けられています。
エジプトと中国は多くの文明が千年前後で滅亡したのに対し、ともかくその後、三千
年残った。エジプトは緩慢な人口増加とナイルの洪水により救われたが、農地を潰し
て都市を建設するほど愚かでなかった、というくだりは弥生以来の美田を潰してきた
日本人には耳が痛いですね。中国は分厚い黄土の堆積層に救われ、さらに南部にこけ
る水田農耕という持続可能な農業システムで残ったとありますが、北部の黄土地帯に
今は水がありません。これは深刻な問題で、中国の経済成長に伴う食糧需要と干ばつ
による農作物の不作のため、既に世界の食料価格は2倍に上昇しています。(文末のURL)
人口は食料供給の限界まで増加し、富が社会の階層の上層に集中するため社会全体に
十分な食料が行きわたる事はないという言葉も、重いですね。
最近の反ユートピア小説から引用されている「希望は、一番大きな空約束する政治家
に当選の道を開く」、「我々大半は、手堅く予測可能な清貧より、わずかな希望にか
ける」、「貧乏人が自分を搾取されているプロレタリアートではなく一時的に困って
いる億万長者とみなす」、「アメリカはまだ朝の国と言って省エネをあざ笑うレーガ
ンを大統領に選んだ」という一つ一つが胸に刺ささります。
今や文化や政治システムは異なっても経済的にはただ一つの文明が存在し、地球全体
の自然資源を食いつぶしている、このまま行けば世界的な飢餓と無政府状態と戦争が
起こり、21世紀末までこの文明が生き延びられる確率は五分五分より大きくない、
という事が本書の最終的な警告です。イースター島の住人は最後は殺し合いと人肉を
食らう地獄だったといいます。
ネオコンに対する批判は手厳しくて、規制緩和や減税は、お太鼓持ちのメディアが売
り込んだが、実際のところ大衆は税金が引き下がらなかった。これはいま日本で議論
している法人税を減税して消費税を引き上げるという事かと?
彼は現代人の祖先であるクロマニオン人に滅ばされたネアンデルタール人や、ヨーロッ
パ人に絶滅された北アメリカ先住民に対する同情と愛情を感じさせる記述を随所に入
れています。自身もネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるとも言っていいます。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4710.html
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◆書評◆
モサド前長官の証言「暗闇に身をおいて」
エフライム・ハレヴィ 著 河野純治 訳 光文社 2007
を今月は、紹介します。
本書はイスラエルの諜報機関として有名のモサド(Mossard)の長官であったエ
フライム・ハレヴィの回想録です。著者は、「自叙伝でも、モサドの功績を綴っ
たものではないがその要素は多分に含まれる」とあとがきで述べています。今
現在、パキスタン、イラン、アフガニスタン、イラク、シリア、ヨルダン、イス
ラエル、エジプト、スーダン、リビア、チュニジアと戦火の中にあります。著者
は1998年のアフリカの二つの都市でアメリカ大使館が爆破された時から「第三次
世界大戦」が始まったという認識をしていますが、我々日本人はその情勢に極め
て疎いですね。本書はそのイスラム系国際テロ組織と真っ向から戦い、周辺のア
ラブ諸国から国家の生存を認知されていないイスラエルのモサドの活動を通じて、
歴史的な変革の意味と、日本の統治機能を再認識する知識をくれます、一読をお
勧めします。
イラン・イラク戦争、湾岸戦争、ユーゴ紛争・・・の内幕やイスラエルの行動に
ついて興味深い話がありますが、本書のハイライトは著者が全身全霊を込めて纏
め上げたイスラエル・ヨルダン和平条約の内幕の部分で、詳細かつ鮮明に記述さ
れたドラマには引き込まれます。エジプトとの和平条約に次ぐ、中東情勢の安定
化を推進する条約を、ヨルダン国王との個人的信頼関係、またはモサドの組織的
な活動で、そして、イスラエル国内の抵抗と妨害を粘り強く解きながら纏め上げ
ていった歴史の証言です。交渉とは何かという事の非常に貴重な教材でもありま
す。時のラビン首相に仕え、彼の政敵であるペレス外相との確執を凌ぎながら、
調印寸前まで条約文書細かな表現の対立を解決していくプロセスは息をのむ迫力
があります。イスラエルは「交戦状態」の終結という表現にこだわり、ヨルダン
は「戦争状態」の終結という表現を譲らない。纏めたくない人がいる。破断寸前
に国王は賢くも「戦争状態」も、「交戦状態」もアラビヤ語に翻訳すれば同じ
「kharb」だから式典の演説で一言付け加えるからと、イスラエルの「交戦状態」
の表現に歩み寄り、演説ではアラビヤ語で「戦争状態―kharb―は終わった」と述
べ出席者の割れんばかりの拍手を得たという。
正式調印までの三か月間にも両国政府内の様々な妨害がありその中で彼が改めて
実感したことは、「…それが人間の弱さ、政治家・権力家者のあくなき野心、対
抗意識、妬み、国民・有識者から認められたい、尊敬されたいという底なしの渇
望といったものが非常によく表れた・・」、と言う下りは印象的でした。
この章で興味深いエピソードを一つ紹介しましょう。首相以下の多数の高官、軍
幹部を入れた徹夜の最終交渉で明け方近く全ての協議が終わった時、ヨルダン国
王は休憩を求めトイレに立った時、ラビン首相はエフラエルを呼び「一緒に行け。
国王を一人にするな。考え直す時間を与えてはならん。もし国王の気が変わった
ら面倒なことになる!」と。国王の後を追い近くのトイレに入り数分間二人きり
になった。深く一息ついてから、国王は「どう思うかと訊ねた・・・・」あとは
読んでください。
この後両首脳はクリントン大統領に電話をかけて両国が最終合意に達したことを
報告して、調印式に出席するよう要請した、と。
アラファトに評価は酷いものですが取分け国際関係のルールが判っていないと言
っています。そのルールはなんと、第一は、政治指導者はメリカ大統領に嘘をつ
いてならない。第二はアメリカ大統領を自己の利益の為に利用しようとした者は
誰も生き延びることはできない、です!日本の普天間問題どうでしょうか。
後は印象に残ったフレーズを紹介しておきます。
「歴史的な責任を自覚して、一般大衆に迎合しない指導者でなければ、国民に新
たな夜明けをもたらすことは出来ない」
「ラビン首相は部下からの支援や支持がなければやっていけないと、いつも考え
ていた」
「ラビンは自分がかかわる事項のどんな小さな点も非常に重視する…『悪魔は細
部に潜む』を厳格に守る信条だった・・・・・詳細な部分についても責任を負
う姿勢を示す」
「ラビンはクラウゼヴィッツの言う『摩擦の力』の危険性をよく知っていた。力
と力が接触することでそれぞれの力の方向が変わってしまう事である」
「ヨーロッパ人は領域外の事柄には熱心に取り組むが、領域内の事に関しては、
あまり真剣に取り組もうとしない」
「公職にあるイスラエル人は、ナチスドイツによってユダヤ人コミュニティー全
体の三分の一が抹殺れたという事実を持ち出すことを避ける」
「EU諸国では『農業ロビー』からの要望が政治的最優先事項の上位に位置している」
「官僚が提案するときは匿名性が尊重・保護されなければならない。でないと正
しいという事を提案できなくなってしまう」
「ネタニヤス首相は、ありとあらゆる詳細情報と多岐にわたる考慮事項を瞬時に
理解し、事態を統率するという恐るべき才能の持ち主である」
「自分が蚊帳の外に置かれていたというのが気に入らなくて反対、と言う人もいた」
「何人もの指導者、政治家、官僚、補佐官たちと顔を合わせたが、・・彼らが心
の中で繰り返し自問する声が聞こえてきそうだった。『自分にどんな影響があ
るのか』、『同僚や部下、交渉相手からどう見られるのか』、友人や同僚たち
が離れたところで、私が始末をつけるのを待っていた、私が失敗したらいつで
も逃げだせるように、成功が確実になったら駆け寄って勝利と喚起を分かち合
えるように」
「先見性がなければ民族は崩壊する」
「いかなる決断も、常に不確実な状況下で下される、勝利の美酒に酔いしれたい
なら失敗の責任を取る覚悟が必要である」
「首相といえども、人間関係、しかも非常に個人的な人間関係にがんじがらめに
なり、必要なときその特権を行使できない状況になっていた」
「戦略とは何か、十分な定義がほとんどされていない。戦略には学術と技術に基
づいた計画立案が必要である」
「国が思い切った手段をとることに一般国民が同意するのは、テロ直後から2-3か
月と言う短い期間に限られている」
「作戦計画には明確な開始日と終了日がある。だからこそみんな一致団結して、
全力を尽くすのである」
巻末の佐藤優氏の解説も興味深いですね。
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◆書評◆
今月のご紹介は、「バレンボエム音楽論―対話と共存のフーガ」
ダニエル・バレンボエム著 蓑田洋子訳 アルテスパブリッシング 2008
この本は天才ピアニストであり指揮者であるダニエル・バレンボエムの著書です。
音楽について語るのではなく、音楽が、人の心を清め、知性を磨く力がある事を基
底の認識にして、イスラエルとパレスチナの平和的で共存共栄の解決を一日も早く
実現したいという崇高な志を熱く訴えている本です。彼ができることとして、音楽
を通じてこの目標に全知全脳をつぎ込んでいる活動について語っています。翻訳で
はありますが、読んでいると直接彼から話を聞いているかの感覚になるのは、音楽
家としての見識だけでなく、彼が持つ、ギリシャ哲学とドイツ哲学の教養の高さ、
そして文章としての語り掛けのうまさだと思います。一読をお勧めします。
2部構成で、第1部が本体です。第2部はインタビューや講演録ですがこれもバレン
ボエムの生の姿を感じさせます。
実はこの本は暫らく書斎で積読状態でしたがいつも気になっていた一冊でした。
休暇に入るに当たり、意を決し手に取り、4時間で一気に精読モードで読みました。
内容にそうさせる力があります。バレンボエムと初めて出会ったのは1980年のベル
リンです。彼のリサイタルがベルリンフィルハーモニーハウスであり、午前3時に
音楽大学の学生たちの列に混じりチケットを買いました。確か一番安い、オーケス
トラの舞台の裏の窪みの席でした。音楽大学の学生達は安いと同時に、バレンボエ
ムの手の動きが見えるという事でこの席を選んだようです。彼は本の中で、リスト
の言葉を例に引きながら、ピアノ演奏には10本の独立した指が一つのユニットであ
る事が必須で、右手でメロディー、左手で伴奏ではないと断言しています。
そして確か演目はベートーベンのピアノソナタでした。それから時々来日してNHK
交響楽団を指揮するのをTVでみる度に、ベルリンのリサイタルを思い出していまし
た。この本を手にするまで時間が掛ったのはベルリンの演奏を全く理解というか、
感じ取る事が出来なかった経験からかもしれません。
当時私は西ドイツのアレキサンダー・フンボルト財団の奨学金でベルリン工大の
研究員として西ベルリンに滞在していました。時間的余裕が有りましたので、しば
しばベルリンフィル、ドイツオペラ、時には東ドイツのベルリン国立歌劇場などに
足を運んでいました。カール・ベーム、カラヤン、小沢、ズービン・メータ、東ベ
ルリンではオトマール・スウィトナーとベルリンならではの贅沢な音楽生活を送り、
これがクラシック音楽を聞く始まりになりました。
話を戻しますと、本の構成は、プレリュードに始まり、フィナーレで終わる7部構
成の組曲を連想させる構成です。まずプレリュードに「本書は音楽家のための本で
もなく、音楽家でない人のための本でもなく、音楽と人生の間の相似を、そして考
える耳には聞き取れるようになる知恵を見つけ出したいと願う、好奇心に満ちた人
のための本である」とあります。そして彼からの基底のメッセージは「他者の自由
と個としての存在を受容すること、これは音楽のもっとも重要な教えの一つである」
でしょう。さらに音楽に関するメッセージを紹介すると、「音楽は人生を映す鏡で
ある。どちらも無から始まり無に終わる」、「聴く力を導き育てることは、個々の
人の発達にとってだけでなく社会がひいては国政がうまく機能するためにも、私た
ちの想像をはるか超える重要性を持つ」、「音楽には言葉を超える力がある」、
「視覚よりも聴覚のほうが強力である」、「音楽を聴くことは本を読むこととは異
なる」、「聞くだけではなく聴くことも必要である」。
しかし、この本の主題はイスラエルとパレスチナの共存共栄という平和の追求です。
「イスラエルとパレスチナの語り―、両者による彼ら自身の歴史の絶えざる見直し
と書き換え―、はフーガの主題と対主題同様、絶え間なく相互に関連し合う関係に
ある」と述べ、そして「もしイスラエルが中東に永続的な居場所を得たいと思うな
ら、イスラエルは中東にしっかりと溶け込むことが必要である」さらに「他民族に
対する占領と支配は、はたして独立宣言の趣旨にかなうのでしょうか?基本的権利
を犠牲にて成り立つ民族独立に何らかの正当性はあるのでしょうか?」と政治を詰
問しています。
ちなみに、バレンボエムはブエノスアイレス生まれの、ユダヤ人のコスモポリタン
です。しかし、文化的にはドイツ人でしょう。バッハで育ち、モーツアルトの天才
を畏敬し、ベートーベンのピアノソナタの全曲録音を成し遂げ、加えて反ユダヤ主
義の鼓舞にヒトラーが活用し、その上ガス室に送る時その曲を流したという事で、
イスラエル国内では演奏禁止になっているリヒャルト・ワーグナーを音楽的には非
常に高く評価しています。「ワーグナーがいなければブルックナーもシュトラウス
も、シェーンベルグもいなかっただろう。それまでに作られた音楽のすべてを要約
して頂点まで高め、同時に未来への道筋を示すことが出来る作曲家は一握りしかい
ないがリヒャルト・ワーグナーはその一人だ。」とまで言っています。バレンボエ
ムはギリシャのスピノザの形而上学に傾倒しながら、カント哲学にも強い影響を受
けているようです。指揮者として戦前戦後通じてベルリンフィルハーモニーの音楽
監督を務め、ヘルベルト・フォン・カラヤンにその地位を引き継いだフルトヴェン
グラーをドイツ人らしいドイツ人といい、音楽の構造上の必要性を踏まえた演奏に
感銘を受けたと言っています。
長くなりましたが、最後に現在の我々日本人が身に詰まされる本書の中のメッセー
ジを挙げましょう。
「政治的抑圧、あるいはリーダーシップの不在に苦しむ社会で、文化がダイナミッ
クに主導権を取り、人々の集合的意識に働き掛けて、外的状況を変えることは決し
て珍しくない」、「無知は持続的な生存に適した戦略ではない」、「中庸の道は
ローマに続かぬ唯一の道である」。
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◆書評◆
今月のご紹介は、「日本の食料が危ない」 中村靖彦 岩波新書 2011
早朝2時にレタス畑で働く中国の農業研修生?地震後にその姿が消えたシーンから本書は始まります。NHKにおいて長年現場取材してきたジャーナリストによる本ですのでよくも悪くもジャーナリスティックですが、食料に関する議論を聞いたり、議論したりするに必要な知識を得るにはいい本でしょう。要点を幾つか。
コメ、農地、稲作農家、政治家の思惑、が食糧問題、農業問題の議論を迷走させて本質的な構造改革が出来ていない事を改めて再認識します。食糧問題に議論が行き着けない。最近では民主党のバラマキがさらに混迷を深めていますね。
食料自給率の議論ありますが、まず食料自給率の定義が幾つかあって、これも議論を迷走させていることが書かれています。食料自給率の議論でよく使われるのは、カロリーベースで、これでは自給率は40%、実は金額ベースでは70%、量ベースでは大豆は6%。野菜は量ベースでは80%であるがカロリーは低いのでカロリーベースの数字に貢献しない?量ベースではでは、コメ、100%以上、小麦は14%、野菜は80%、魚は自給、鶏、豚、鶏卵はほぼ自給で来ていますが、飼料の輸入依存度が極めて高い。牛肉は半分程度自給ですが、国内飼育の飼料は輸入依存度が高い。
従って飼料の自給が重要課題であるあるように思えてきました。結論として、魚と野菜を主とする和食中心に移行することが個人的にも国家的にも食糧問題と、健康問題に対する、戦略でしょうか。
中国が世界の食糧をみんな持って行ってしまう?ジャーナリスティックですね。ただ凄まじいことは事実で、大豆では5000万トンが中国、残りの世界で5000万トンですから。
日本人は現場では頑張っています。親が駄目だと子供が頑張るのと同じで、中央政治は酷いのですが、現場で食糧問題をイノベーティブに改革する人たちはいます。例えば「エコフィード」です。賞味期限が切れただけの膨大な食品を加工して飼料にしています。残飯ではありません。家庭の残飯は混入物のリスクが高いので手が付いていいませんが、レストラン等の食べ残しは飼料に利用出来るようです。混迷する稲作の現場でも飼料用のコメの栽培で成果を上げています。試算では食糧米の栽培で余る農地で、輸入トウモロコシの全量を代替出来るともあります。これらは素晴らしい戦略と行動ですが、支援政策は例の「蓮舫仕分け」で予算カットだそうです。
最後はTPPですね。推進派は、GDPの僅か1.5%の農業の保護のために製造業が不利な競争を強いられていると言いますが、この数字で議論は乱暴です。先進国のこの数字は全て低いのです。韓国3.1%、オーストラリア2.7%フランス2.0%、米国1.1%、ドイツ0.9%。関税が下がればもっと北米やアジアに輸出が出来る?本当でしょうか。反対派はTPPが導入されれば農業は破壊される、コメは競争力がないので輸入米の前に全滅するといいます。以前、冷害で緊急輸入した輸入米の販売実績を見れば、値段だけで日本人は買う米は変えません。また、この地球的な食料危機の中、800万トンの日本米を供給するほど余力のある国は?
基礎的な知識ないまま評論家していてはいけないので、この本は勉強になります。
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◆書評◆
今月のご紹介は、次回予告した説得の技術としてのレトリックです。「レトリック」 オリヴィエ・ルブール 2000年 白水社 クセジュ文庫先月ご紹介した「レトリック感覚」はレトリックとして、言葉の「あや」、即ち芸術的表現技術の方を解説していますが、この本は、レトリックの体系の概説です。具体的なhow toを教えてくれるわけではありません。一般向けの概説書ですから難しい本ではありませんが、読み流すには適しませんね。と言っても文庫本ですから時間はかかりません。書評と言う前に、皆さん中身を知りたいでしょうから要約を書きましょう。「レトリック」とは弁論によって人を説得する技術である。「弁論」とは複数の文章のまとまりである。「説得する」とは、感情的かつ理性的方法を用いてある信条を他人の心に生じせしめる行為である。「技術」とはテクニックと美しさを含意する。この本は、この技術に関する理論体系を扱う。とまえがきにあります。第1章ではレトリックのギリシャ以来の歴史とその時代の修辞学の解説があります。レトリックはギリシャ以来、エリート教育でしたが、19世紀に衰退して、1960年代に復活したとあります。そのギリシャ修辞学の構成は、 発想 配置 修辞 表出、です。第2章はレトリックの核である、文彩に関する解説です。文彩には、語の文彩、意味の文構文の文彩、思考の文彩があります。其々、1-2例を挙げて置きます。語の文彩:(百年が何だ、千年がどうした)(飲むか、乗るのか、どちらかだ)意味の文彩: 換喩(一杯やる)、提喩(頭数百人)(全労働者の党)隠喩 (人生の黄昏)構文の文彩:省略法(フランス製を買おう)(白さが違います)反復法(時は行く、時は行く、愛しき貴女)対照法(唯一、気散じがあるが、この気散じこそが・・)統辞破綻法 (クレオパトラの鼻。それがもう少し低かったら・・・)漸層法(私は彼から離れた、彼を避け、彼を捨てて・・・)交差配語法(貧困の哲学なのか哲学の貧困なのか)思考の文彩:アレゴリー(耕さずにして収穫なし)(経験とは、背に負った、過去を照らす灯火である)アイロニー (師匠の画風に忠実でいらっしゃいますね)逆現法(私がした苦労については特にお話出来ませんが・・)類似謙遜法(それは当然ですよね)弁論的疑問 幾らかかったかご存知ですか)第3章は論法と説得の原理、これはご自身で読んでください!衒学的ですがそれが学者?第4章 レトリックの哲学、この章も読んで初めて理解できると思います。最後に、この本にある、「レトリックとは・・・・」の記述を拾っておきます。順不同ですが、洞察力ある方は 、レトリックが「判った」と思うかもしれませんね。レトリックは一つの武器である。レトリックは常にコードとして示されてきた。レトリックは役に立つ技術である。レトリックは「巧み」の塊である。レトリックは哲学が生まれながらにして持っていた方法である。レトリックはせいぜい自分の信ずる事を他人に納得させる方法である。レトリックは真理の道具ではなく、平和の、洞察の、文化の道具である。さあ皆さん「読むべきか、読まぬべきか、それが問題だ!」ですか。
◆書評◆
今月のご紹介は、「レトリック感覚」 佐藤信夫 講談社学術文庫 1992古代ギリシャに始まるレトリックは近代に至るまで最も重要な教育プログラムでした。近代になって無用のモノとして打棄てられていましたが、近年再評価の動きがあるとのことです。アリストテレスに始まる、古代のレトリックは科学と詩学の間に置かれ、説得する表現技術と、芸術的表現技術でした。佐藤は、「版権的認識の造形」をこれに加えています。森羅万象のうち本名を無いものの方が多い、辞書にのっている単語を辞書とうりに使っただけでは自分の気持ちを表現できない、だから自分の認識をありのままに表現するにはレトリックのぎ技術が必要、またレトリックとは言葉の「あや」、キケロ流に言えば思想に衣装を着せ飾ることとしています。本書は芸術的表現技術の方を解説していますが、夏目漱石や、森鴎外、太宰治、芥川龍之介・・から例を引いているのが勉強になります。以下キーワードを挙げると。直喩、隠喩、換喩、提喩、誇張法、列叙法、緩叙法実は、私は殆ど使っている技法でした。しかし、構造化された解説は改めて参考になります。レトリックは、「有限の手立てを無限に用いる」、「比喩とは言語をやりくりする手段」とも云われています。筆者佐藤の豊富な知識から、記述が本人が文中で言っているように饒舌で気になりますが、これを飛ばして読むのも、その饒舌を楽しむのも、ありです。文章表現に磨きを掛けたい方には参考になるでしょう。説得する技術も興味深いので次回。
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◆書評◆
日本の古代史の復習は一応終わり、その外部世界であった古代中国の歴史を再認識するために「古代中国」貝塚茂樹・伊藤道治、講談社学術文庫 2000年を読みました。この本は、1974年に刊行された「中国の歴史」全十巻の第一巻として出版されたものを「古代中国」として新たに加筆修正して刊行されたものです。この30年ほどの中国における考古学的発掘は目を見張る物があり、新石器時代は、書き下ろしたとあります。夏王朝、殷王朝、そして周王朝とそのそれに続く春秋時代までは、新しい発見で訂正や加筆をしたとあります。戦国時代はほぼ旧版のままです。1964年の大学受験の世界史の知識では、今日の中国を正しく理解出来ないし、日中関係すらも認識を誤りかねません。正しい日中関係は、正しい歴史的理解が必要です。
紀元前6000年位は中国各地に石器、陶器、農耕、家畜の新石器文化が出現しているとあります。そして、我が国がまだ縄文時代の、紀元前15-16世紀には、城壁の高さが10米、約2キロ四方の、殷の時代の都市国家の遺跡が発掘されています。この本で詳しく分析されているのは周王朝です。
古代中国は黄河上流に興った周が黄河に沿って東進して行く歴史でもあります。一族を各地に封建して行く過程で、周は次第に求心力を失い、各地は周王朝と離れて国を作って行きますが、しかしその精神的な影響は長く残り、春秋時代の覇者も、名目的には周王朝のお墨付きを貰って覇者を号している事は今回知りました。この時代中国北部にあって、朝鮮半島に影響を与えた燕も周王朝に封建された国ですが、いつしか土着の文化に吸収されていったようです。・・・・
戦国時代は、何かと既に知識がありますので読みやすい感じです。そして秦の統一で中国の古代は終わります。
この本で知りましたが、文字の使用は、古代中国は意外と限定的で、本格的な漢字の成立と文字による記述は秦からです。学術的に丁寧に書かれていますので、決して読みやすい本ではありません。人名、地名はフォロー出来ませんからどんどん飛ばして歴史の流れを掴むことに集中して読みました。一読をおすすめする価値がある本です。
巻末の「講談社学術文庫の刊行に当たって」も読みましたが、「学術をポケットに・・・学術は少年の心を養い、成人の心を満たす・・」文庫本ですが定価1500円、これほどの情報をこんな低価格で良いのかと、改めて書物の社会的な貢献を実感しました。
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◆書評◆
古代史の復習のために読んだ本の中で、今回は下記の4冊を紹介します。1.「農耕社会の成立」石川日出志 岩波新書 2010年2.「ヤマト王権」吉村武彦 岩波新書 2010年3.「古代中国と倭族」鳥越憲三郎 中公新書 2000年4.「倭国」岡田英弘 中公新書 1977年(2001年31版)
あくまで、古代史のバージョンアップが目的でしたので、出版が新しいものを選んでみました。1と2は最新の学術知識を編集したもので、新書ですが内容は充実していて、斜め読みすることは出来ませんでしたが、きちっとした知識を獲得できました。巻末の索引や参考文献等は、学術書の水準です。改めて、巻末の「岩波新書赤版1000点に際して」を読みましたがその理想は、さすがかって「日本の四大文化権威 朝日、東大、NHK、岩波」と称された岩波の力を感じさせます。1000点のうち100点でも若いうちに読めば教養人として人生を送れるとは言いすぎですか。
3は日本人の源流を東南アジアの歴史と民俗学まで広げた俯瞰的視野で記述されていて、「目から鱗」的な知識を獲得出来ました。長江中流に、かって繁栄した民族即ち、「倭族」を弥生人の源流であると位置付け、黄河文明に駆逐され西に、南にそして東に移動して其々の国家を設立し、あるいは少数民族として山岳地帯に生き残る「倭族」という学説を提案しています。そしてその「倭族」に対する愛情を感じさせる本です。
4は日本、中国、朝鮮という東アジアという、俯瞰的視点で「倭国」を解き明かしている点が、価値があるのでしょう。何しろ31版の重版が何よりの評価と思います。三国志の、云わば、付録のような「魏志倭人伝」や、編集時期が不確かな「古事記」「日本書紀」の記述を精読する倭国の研究より、遥かに俯瞰的理解を与えてくれます。巻末に学術的な索引や資料など有りませんが、それだけに、ノドゴシよく読める本です。巻末の「中公新書刊行の言葉」も改めて読みましたが、「真に知るに値する知識だけを選び出して提供すること、・・」を実感させる2冊です。
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◆書評◆
「知はいかにして再発明されたか」2010年 日経BP社 イアン・F・マクリーニー・ライザ・ウルヴァートン(著)「知の構造化」ということを数多く口にしているので、題名に惹かれて書店で買い求め、読んでみましたが、知的な読み物のとして凄く面白い本です。巻末の参考文献のリストを見れば学術論文の水準ですが、学術論文のように書いてはこの喉越しの良さは出ないでしょう。ただ主観を吐露するだけの憂国本や、読めばすぐお金になるような新聞広告の本とは異次元の水準です。時間があればご一読をお勧めします。
アレキサンドリアに生まれた図書館、中世の修道院、ヨーロッパの大学、アカデミー、専門分野、実験室そしてインターネットと、知の創造機関を繋いだストーリですが、興味深い知見を得られます。終着点としてインターネットを位置づけていますが、ここはかなり唐突で不連続なので、読後多くの人が、発展的、創造的に書き換えたいという衝動に駆られると思います。
◆要約をブログに置きます。http://www.fukan.jp/
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